アポロ11号の月着陸
1969年7月21日(日本時間)、アポロ11号で人類が初めて月面に降り立ちました。この様子は、衛星放送で日本でも実況放送を見ることが出来ました。西山千氏による同時通訳付きのアームストロング船長の、かの有名なコメント、「That’s one small step for [a] man, one giant leap for mankind.」を聞きながら、(かなり解像度の悪い動画でしたが)興奮して見入ったことを思い出します。今頃この様な話題を持ち出したのは、人間を月面に送り込む計画が、最近になって再び各国で持ち上がっているからです。
まずはアポロ11号について振り返ってみたいと思います。
アポロ計画は、アメリカがソ連との宇宙開発競争において「史上初」を達成すべく鎬を削った、面子を保つための取り組みだったわけで、ケネディ大統領が1961年に、「1960年代に人類を月に送り無事帰還させる」、という演説をしたことに始まります。月まで人間を往復させるにはそれまでにない巨大なロケットが必要でした。第二次世界大戦時にドイツでV2ロケットの開発に関わったフォン・ブラウンが戦後アメリカにわたり、巨大ロケット、サターンⅤを開発したことで可能になりました。最初に人間が月面に着陸し、無事に地球に帰還を果たしたアポロ11号のミッションでは、月着陸船Eagleは、静かの海(Sea of Tranquility)に着陸しました。そこに星条旗、観測機材などを設置し、静かの基地(Tranquility Base)と命名していましたが、月面から飛び立つ際に土台になった、Eagleの下降段も残されています。アポロ11号関係の写真は、以下のNASAのサイトなどで見ることが出来ます。
https://www.nasa.gov/gallery/apollo-11/
また、アポロ11号帰還後も月面に残っているEagleの下降段(descent stage)の写真は次のサイトなどに載っています。
https://biblicalscienceinstitute.com/astronomy/one-small-step/
ここからが本題ですが、そのおおよその着陸場所について、以前撮影した月の写真をもとに説明したいと思います。
2022/6/19 月齢20
図1:11.5cm屈折望遠鏡で撮影した月の全景写真上に、図3の写真のフレーム位置を記入したものです。静かの海は日本の月面模様の解釈で定番の「ウサギの餅つき」の絵において、ウサギの顔に相当する部分です。
静かの海から神酒の海にかけて
図2:25㎝反射望遠鏡で撮影した着陸地点を含む中拡大写真で、図3の撮影範囲を記入しています。画面上の図3の範囲を含む海(暗い平坦な部分)が「静かの海」、下のやや小さな海が「神酒(みき)の海」です。撮影日は図1と同じです。
アポロ11号着陸地点周辺
図3:さらに拡大したアポロ11号の着陸地点周辺の25cm反射望遠鏡による写真です。白線の間の部分が、NASAで公表している情報をこの写真に当てはめて得た着陸位置です。
右下のクレーター(Moltke)は、東側(写真右側)から降下するEagleを操縦するアームストロング船長が、着陸アプローチの際にナビゲーションに使用した地形の一つとされています。その直径は6kmとのことですので、静かの基地に残る着陸船の下段などの構造物をこの写真中で確認するのは、小さすぎて不可能です。写真上に記載したごとく、着陸地点近くの小クレーターには、Armstrong、Collins、Aldrinの名前が公式に付けられました。AldrinはArmstrong船長とともに月面に降り立った宇宙飛行士で、Collins は、月周回軌道上でEagleの月着陸をサポートした司令船コロンビアの船長です。
それぞれの直径は4.6㎞、2.4㎞、3.4㎞です(The Cambridge Photographic Moon Atlas、72ページの記載より)。
図1、2と図3は撮影時期が異なっていますので、クレーターの影のでき方など少し異なる部分があります。
現在再び、各国が人類を月に送ることに躍起になっています。そして現在の月への飛行は、月の資源獲得、月への人類の移住、更には月基地から火星への移住など、その目的はアポロ計画の時とは大きく異なってきています。
いずれにせよ、現在どの国も実施が困難である人間の月への往復旅行が、55年もの昔に達成されたことは驚嘆に値します。
私個人としては、望遠鏡で月をどれだけ詳細に撮影してやろうか、とワクワクしているわけですが、人類がその場所に行けるようになったこの時代に、そんなことはほとんど意味が無くなってしまいそうです。しかし、我が家から自分の見たい場所を望遠鏡で自由に観察、撮影することには、捨てがたい魅力があるのです。